No.005 飯尾 聖(愛媛新聞社 編集局 報道部 副部長)

愛媛新聞社 編集局 報道部
副部長 飯尾 聖氏

10月7日に行われたジュニアドクター育成塾愛媛大学では、第4テーマ「くすりをつくる技術」で学んだことについて「えひめこども科学新聞 第3号」を作成し、発表しました。

新聞作成回では、愛媛新聞社 飯尾さんに、講評をいただいています。

いつも受講生たちの紙面に対し、端的かつ的確をご講評くださる飯尾さんは、なぜ新聞記者になられたのでしょうか。

今回の科学プロ図鑑は、愛媛新聞社の飯尾 聖さんにご登場いただきます。

【目次】
1 子どもころはどんなことに興味があった?
2    子ども時代の将来の夢は?
3 なぜこの仕事をするようになった?
4   今の仕事を選んだ理由は?
5    実際にされている仕事の内容は?
6 仕事をしていて一番嬉しい瞬間は?
7 仕事をしていて一番大変だと思うことは?
8 同じ仕事を目指している子どもたちに,いま頑張ってほしいことは?

1 子どもころはどんなことに興味があった?

小学校の時はミニバスケットボールや陸上とか、スポーツが大好きでとにかく外で走り回っているような子でした。ピアノも小さいころから習っていて、中学校3年生まで続けていました。中学校に入ってからは、入学した中学校が吹奏楽に熱心な学校ということもあって、吹奏楽部に入部して3年間は部活づけの毎日でした。

2    子ども時代の将来の夢は?

小学校5年生の時に今でも付き合いのある良い先生との出会いがあって…。ちょうど大学を卒業した後に新卒採用で来られた先生で、その先生にあこがれてそのころからずっと、小学校の先生になりたいっていうのが夢だったんです。大学も教育学部に進学して、小中高の教員免許も持っています。

3 なぜこの仕事をするようになった?

私元々新聞とかニュースとかが好きだったんですけど、私が中学生の時に迷宮入りになった「グリコ森永事件」っていうのがあったんですね。お菓子メーカーのグリコの社長が拉致、脅迫された事件だったんですけど、今では考えられないような手書きの挑戦文が面白く感じたんです。その当時はネットもなかったですし、新聞やニュースでしか見ることができなくて、毎朝、新聞を読んでいました。まるでおじさんのようですね(笑)。その時から社会の出来事を面白いなと感じる「社会の目」というのがあったんですね。

大学3年生の時に1年間交換留学でアメリカのノースカロライナ大学に行かせて機会があって、そこで同じ寮に信濃毎日新聞っていう長野県の新聞社からきている30歳くらいの女性記者の方がいらっしゃって、色々な交流をする中で、裏話も含めてたくさん生の話を聞かせてもらう機会があったんですね。その時に「面白い世界だな」「刺激的だな」って強く思ったんです。だけど、教育学部なので教育実習にはカリキュラム上行かなくてはいけないんですね。それは留学から帰ったらきちんと行きました。4週間と2週間、それぞれ付属の小学校と中学校に行ったんだけれども、その当時の私が思い描いていた学校と、たまたま行った学校がそうだっただけなのかもしれないですけど、私にとってはちょっと窮屈に感じられたんですね。もっと自由にのびのびしたいなっていう。子どもたちも可愛かったし、凄く良い思い出は出来たんですけど、「なんかちょっと違う」っていうのを実際体験してみて、教育実習が終わった時点でそれまでずっと先生になりたいと思っていたのに見切りをつけて、そこから方向転換をして色んなマスコミ講座とかの勉強を始めました。そうして今に至っているというカタチです。

4   今の仕事を選んだ理由は?

それは偶々です。新聞だけじゃなくてテレビも受けていて、内定をもらっていたのもあったんだけど、愛媛新聞は地元というのと、先輩や入社されている方の話から職場的に長く続けられる環境だと感じたのが理由ですね。そのころは金融業界とかが人気で、「女性は結婚したらやめる」みたいなものが私の世代は幸せだと考えられていて…。企業によるところもあるんですけど、でもその時の愛媛新聞社にはそういうのが感じられなくて、本人に続けたいという意思があったら、続けられる環境ではないかなとは思いましたね。

5    実際にされている仕事の内容は?

今は報道部の副部長という立場なので、記者時代のようには動き回れないんですね。報道部には、政治と経済と警察、あと支社局があります。県外だったら、東京支社、大阪支社、高松支社、あと県内に11の支社局があるんですけども、そこからくる原稿を「デスク」という私を含めた何人かで手分けをして原稿を受けて、その日の予定とか、どういうものが出稿されるのか、何日ぐらいにどういう記事が出るかそういうのも把握をして、全部目を通して、それぞれの記者に戻すという…。要するにデスクワークですね。面白くないんですよ(笑)。私は動き回っている方が好きだったので。今でも取材に行きたいくらいです。まあそれは仕方がないかなと思っています。

6 仕事をしていて一番嬉しい瞬間は?

やっぱり嬉しいのは自分が書いた記事や、連載でお便りとかの反響があった時ですね。それは凄く嬉しいですね。いまでも大事に手紙やメールとか取ってあります。

7 仕事をしていて一番大変だと思うことは?

取材先が書いてほしくないことでも、時には書かないといけないということですね。いわゆるスクープであったり、担当者は認めていないけれども状況的にほぼ言える時は、断定のカタチでは書けないので表現は配慮して掲載します。そうすることで、「なんで載せるんだ」という苦情はやっぱりありますよね。本人は認めていなくても他のところが情報を提供する時もあります。それに基づいて記事を書いたら、「誰が漏らしたんだ」ということで風当たりが強くなるということもあります。でもこちらも確証を得て書いているので、情報源っていうのはもちろん言えないんだけども、こちらも言うべきことは言わなくてはいけないし、曲げれないものは曲げれない。だから、そういう時はちょっとしんどいですね(笑)。

8 同じ仕事を目指している子どもたちに,いま頑張ってほしいことは?

とりあえず、目の前のことは一つ一つ大事にしてほしいし、自分の興味のあることはとことんやってみたら良いと思うんです。だけど、人生って自分が思っていたのとは全然違う道に行く時もあるので、柔軟な考え方を持ちつつ、ちょっと一歩引いて自分を見る目を持っていてほしいです。社会って多様性に満ちているから、それは謙虚に受け入れて、いろんなことを吸収していく、っていうのが大事なんじゃないかな。「これだ!」と決めつけたりするんじゃなくって、その時々で道を変えても良いと思います。多分一生懸命自分でやり切ったことって、スパッと自分の中で切り替えができると思うんですよ。逆に自分が消化不良だったらいつまでもウジウジして、とりあえずその時の自分が持てる力を時間を費やせていなかったら、それは残らないと私は思います。

取材者:
スチューデント・キャンパス・ボランティア
メディアサポーター出版部
写真・文 杉山未来

スチューデント・キャンパス・ボランティア公式HP:
http://scvinfo.csaa.ehime-u.ac.jp/dantai/mspt/

飯尾さんがいつも見ているのは「社会」という、とてつもなく広い世界。

色々な人がいて、色々な考え方があり、それを受け入れることの大切さを教えてくれました。

貴重なお話をありがとうございました。

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